もうじき49日
お盆の関係で1週間くらい早まってる49日
35日から49日の間にやるんだそう
娘がいない日が40日になった
息子二人の慰めと同じ傷をもってしまった夫、私と同じくらい娘と時を過ごした私の母でなんとか日々が過ぎていく
まだ受け入れていないからなのか時々娘がいるような気がしていつもの日常が送れたりもする
そうかと思うと娘の描いた絵や使っていた消しゴム、好きだったオレンジジュースを見て号泣したりもする
遺骨を身につけていようと思ってリングを買った
選ぶのは楽しい作業ではなかった
それでも届いて遺骨をほんの少しリングに収めた
これでどこでも一緒
でも全然悲しみは減らない
経験上、お葬式関連の行事が一通り済んだ後もの凄い悲しみが襲ってくるのを知っている
父の死から30年が経っても悲しみは来る
この先後どれくらい泣くんだろうか
胸に刺さった悲しみは抜ける事はないまま歳を重ねるしかないんだろう
前は認めたくなかったからか自死や鬱という項目を検索してこなかったけど
亡くなってから少し読んだ
娘は携帯から相談ダイヤルに何回か掛けてる
13秒程で切れてるので混み合って繋がらなかったのかもしれない
死にたいというのは希死願望というらしく自死の2個程手前らしい
その次に移行すると生きたいと思っている反面死への渇望が止まらないらしい
まさにそうだったんだと思う
何日か前に自死しかけたと告白してくれた
あの時そんな事しないでねと話したけどそれは話してもわかってもらえないという気持ちにしかならないようだ
もっと調べてちゃんと話してあげられたら
カウンセリングで話してくれてる物だと思ってたから安心してしまったと思う
彼女が逝ってしまってからどれだけの寂しさと辛さを抱えていたかを知った
生前知っていたとしたら何が出来たんだろうか
そんなに自分を攻撃して追い込まなくてもいいのにと言ってもそれはダメだっただろうけど
あらゆる事は試しただろうか
6月に入ってからカウントダウンが始まっていたような娘の文章を読んだ
今8月のお盆休みでみんないるけどそんな状態だったらもう少し伸びたのだろうか
後1か月チャンスがあったら何とかなったのか
ならないと絶望したから逝ってしまったのか
最後の日の明るさはもうじき終わりにするつもりの明るさだったのか
幾つものたらればと疑問が残る
今日も遺影の娘は笑っている
少しは楽になれたんだったらママはどれだけ泣いてもいい
去年の夏大学のオープンキャンパスに行ったんだった
写真嫌がっても一緒に撮れば良かった