マイライフ・アズ・ア・ドッグ
私の好きなラッセ・ハウストレム監督の映画
初見は多分20年前位だと思う
主人公の少年イングマルのモノローグからはじまる。 「よく考えてみればぼくは運がよかった。たとえば(中略)宇宙を飛んだあのライカ犬。スプートニクに積まれて宇宙へ。心臓と脳には反応を調べるためのワイヤー。さぞいやだったろう。食べ物がなくなるまで地球を五ヶ月回って餓死した。ぼくはそれよりマシだ」
ライカ犬と比べて自分を慰める少年に当時長男、次男を産んだ頃の私は激しく同情した
あと子供は規則正しい生活をベースに自身のアイデンティティを確立していくのかなぁと
多分娘が産まれてからも見たと思う
話自体は淡々とした純文学的な作りなので心の奥でほんのりと光を感じるような作品
何かの例えで娘にも話したかもしれない
でも一緒に見ようと言わなかったのは(言っても洋画好きでないから断られたかもしれない)作中で主人公の飼い犬が本人の知らない所で(多分保健所のような所で)処分されてしまうから
もちろん主人公イングマルも激怒し号泣する
いつか迎えに行くつもりで頑張っていた彼の支えだった愛犬
娘が見たら最初取り上げられた時に「ママかなワンコ戻って来るんでしょうね?」と聞くかもしれない
そうでないなら主人公イングマルがどんなに頑張ろうとこの話は見ないだろうなと思う
あと史実であるライカ犬の事も心に病むだろう
最近この話を良く思い出す
冒頭で彼が呟く「ライカ犬よりマシ」のフレーズが頭に響く
ライカ犬と比べなければならないほど辛い生活を送る主人公を思ってというより
そう思わないとやっていけないくらいの追い込まれ感を感じるから
誰もいない宇宙で死ぬと分かっていて載せられるライカ犬
そう私だってライカ犬よりマシ
そう思わないと生活出来ない現状で
毎日亡くなった娘を思い、死ぬほど辛かったという日々を考えると、わかっていて何もしなかったライカ犬を乗せた人より酷いと思ったり
不幸な犬と比べなければ日々を乗り越えられなかったイングマルよりマシだと思ったり
とにかく何かとこのフレーズが胸を過ぎる
人は何かと比べないと自分の幸せに気付けない物なんだとわかっていたようでわかっていなかった
わかりたくなかった
知らなくて歳を取れたらその方が多分幸せ
子供を亡くす事何もしてやらなかったという思い
もう会えないという現実をまだ受け止めてはいない私がいる
だからライカ犬よりマシと自分を慰めるしかないんだろう
夢で会った娘は生前と同じでハグしても暖かく感触すらあった
そんな生活が当たり前だった時の幸せを今頃気がつくのだから
ライカ犬より本当にマシなのか
宇宙をさまようような寂しさが胸に広がるばかりだ