母が亡くなった
夏まで元気だったのに秋に片目が見えないといい11月には認知症状が出た
悪性リンパ腫の再発との事
放射線治療も抗がん剤治療も完治には至らないそうで私は薬で静かに進行する母を介護する生活を選んだ
でも本当に進行が早くて年末には喜怒哀楽を失い新年には食べれてた物が次の週では咀嚼が難しくなった
娘と母は私が仕事をしてる間二人で過ごす事も多く通販のお世話や携帯の名前を入れたりしたのは娘らしい
娘が撮った写真には母の部屋から見える小さい裏庭の植物もあり娘が食べるからとプチトマトのプランターもあったようだった
母の代わりに裏庭で洗濯を干していると娘と母、二人で過ごした日があったことを目で追ってしまう
娘は母の裏庭ん眺めながら美味しい緑茶を飲むのが好きだと言っていた
おばあちゃんみたいねと私は笑った
そんな穏やかな日がずっと続けばよかったのに
二人で何をして笑ってたのか何を言われてちょっと娘が拗ねたのかもう永遠にわからなくなってしまった
運命共同体みたいな母だったからずっと寄りかかっていたのは私だと思う
娘との思い出を共有出来た母がいないだけで随分と娘が遠くなってしまった気がする
娘がいなくなった次の日洗濯を干しながら娘の下着がないと泣いたと言っていた
娘に会えただろうか
そんなにおいかけるように行かなくてもいいのに
ママはやっと少したてるようになったのに
また心寂しくなってしまうよ
毎年作っていた干支の色紙は10月に完成していた
私の干支の
兎年の色紙が最後になった