話したいことが沢山あるよ

泣くなはらちゃん というドラマが契約している動画配信サイトHuluで今やってる
これだいぶ昔の作品で(2013年)
長瀬君が若いしさりげなく脇役で菅田将暉賀来賢人いたりして時間の流れを感じた
娘が当時小学生で挿入歌歌ってたねとこの間話した記憶がある
そんな事思い出したら見れなくなっちゃったよ

挿入歌の一部をふと思い出してよく歌ってたね〜って言ったらワンフレーズ歌ってくれたし、タイトルも忘れてたのに思い出して教えてくれたな

こんな事覚えてるくらいだから本当に去年の(もう去年!)5月や6月の話なんだよ

でもね

今はそんな話も出来ない

あの時5年生くらいだったね

当時の娘はちょっとおませだったからマンガのキャラと主人公の関係にときめいていたかもしれない

 

共有した思い出やら何処に行ってしまうんだろう

まだママは色々話したかった

もっと早く配信されてたらまた一緒に見たかなぁ

今見たらなんて感想言うだろうか

前より面白いと感じないとか言うのかな

ここ最近はアニメしか見なかったもんね

やっぱり現実の世界は嫌だったんだろうか

そんなつまらない私の想像すら、もう答えを得る事はないと思うと涙がまた止まらない

 

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(「泣くなはらちゃん」より)

 

三連休の終わりに

去年の三連休は日にちが11.12.13日だった

多分12日位に娘が言った

「癒しが足りない…動物に触れ合いたい」みたいな言葉だった

私は家にも動物いっぱいいるからそこで触れ合えば?とおちゃらけて言った

うさぎも犬も猫もいる、わざわざ出かけてなくてもねと

羊とかヤギとか鳥でもいいと言っていて

まかいの牧場か花鳥園みたいな感じだった

今思えば花鳥園も何度か行きたがっていたから行ってあげれば良かった

小さい頃行ったきりだからあんまり記憶にないだろうに

なんでまかいの牧場になったのかはよくわからないけど多分草食動物の多さと馬がいるのが決めてだったかもしれない

あまり観光施設に行かない我が家として1番リピートしてたのがここだと思う

一度チケットを買って入ると1か月以内なら何度でもそのチケットで入場出来るという特典もある

とにかく13日にまかいの牧場に行くことにした

スロースタートな私の行程なので出かけたのは多分11時過ぎで(もっと遅かったかも)ちょっと道を間違えたりして着いたのは14時くらいだったと思う 

途中のマックでお昼を買い道々食べながら行ったような気がする

まかいの牧場は終了時間が冬はちょっと早くて17時くらいに終わってしまう

寒いし暗くなるから動物だって仕舞わないとならないから当然だ

実質2時間半くらいの滞在になってしまったけど着いてからは羊に囲まれながらエサをあげたりヤギやら色々な物に触れ合っていた

ポニーの引き馬もいつも乗りたがっていたので乗るかと促すといいと言う

体が大きくなったのでポニーに気の毒というのと

乗馬等を何回か体験すると引き馬ではつまらないらしいかった

それでも無理矢理チケット買って娘を列に並ばせ、やっと乗った時はやはり嬉しそうだった

馬の足捌きがイラストで上手く描けないから動画を撮ってと珍しくリクエストがあり動画で収めた

夕方になり寒くもなって来たのでまかいの牧場を後にし帰りにホームセンターに寄った

ペットの何かを色々買った後安くなっていたので大きなクッションを買った

フワフワで丁度ソファに置くといいサイズ

娘はしばらくの間コレはお買い得だったと言っていた(私が言って同意していたのかもしれない)

帰り道眠気が襲って来た私に怖い話を読んでくれようとしたり(以前の遠出の時読んでくれた)楽しい一日だった

今日は一日その事が思い出されて時々泣いた

あれからもう一年経った事

まさかこの時の乗馬の動画が遺影になるなんて思いもしなかった

たった一年前の楽しい思い出

2月までにもう一回行けたら行きたいなと思いつつ寒かったりコロナがチラホラし出して行けなかった

その時のチケットはまだ残ってる

行っておけば良かったな

本当に正面からちゃんと顔が写ってる写真が無くて

探しに探した時この動画を見つけた

笑って振り向いてる顔がとてもあの子らしくて可愛かった

今は便利な時代だからコマ送りにして動画の笑顔を写真にしたよ

もし今生きていたらもっと大人っぽくなっていたんだろうか

毎日見てると成長がわからないけど蕾が花咲くように女の子らしく可愛いらしくなっていたのは感じていたから

写真の笑顔がまだあどけなさが残っていて切ない

生きていてさえいてくれればと思うのは親の勝手なんだろうか

やっとお兄ちゃん達が手が離れてこれから末っ子にいっぱい向き合えると私は思っていたのに

ここからの半年春先に向けて娘は凄く元気だったので私はそんな未来を夢見てあの夏の日まで過ごしていたのだ

今日しみじみ思う

あの子はどんな気持ちで癒しが欲しいと言っていたのかと

ここ何年か時々言う言葉だったので気持ちを思いやる事もせずなんと無く過ごして来た日々を後悔していてる

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今年が終わる

2020年前半は娘が元気になってきて凄く嬉しい半年だった。

後半は正に一生分の悲しみと過ごした

こんな別れ方をするなんて去年は思いもしなくて同じ一年はないのだと思い知らされた

これから先もあの子のいた時間と居なくなった時間を分けながら思い出を辿る毎日は続く

私はキッチンに籠り隣のリビングの仏壇から目を逸らしあたかもソファで娘がいるかのように逃避しながらこの半年を過ごした

それはまだ当分過去形にはならない

今日以前お世話になったスピリチャルの方にお会いした

娘さんは笑顔で神様の所に居るので安心して下さいと言われ少し慰められる

見えない感じない私達にはそうならいいと祈るしか出来ない

それでもやっぱり去年の大晦日の日を思うと涙は止まらない

昨日会った女の子は娘と一つ違いでアニメの趣味も絵を描きたいと思っているのも本当に似ていてもし今居たら話が合うんじゃないかと思ったら悲しくて寂しくて仕方なかった

彼女のこれからの幸せを娘の分も願いたいとおもった

私の来年がいい年になるとは思えないし幸せな時はおわってしまった

これからは無くした物の喪失感と一緒に年をとって行く

いつか向こうで会える日まで粛々と日を繋いでいく

その間にいくつか幸せな思い出が息子達と作れたらいいと思う

娘と一緒に過ごせた2020年は終わって行く

娘のいない2021年が来る

 

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悲しみ比べ

以前「ライカ犬よりまし」と思いながら辛さを紛らわす少年の話を書いた

娘がいなくなってから親子連れで買い物に来てる人を羨望の目で見てしまうと友人にLINEした

もっと我を捨てれば何かが見えると返事が来た

友人の言いたい事が私にちゃんと伝わってないのかもしれないけど自分ばかりが不幸じゃないと言いたいのかなと思った 

それはライカ犬よりマシと思うのに近いのかと思ったけど多分子供を持てなかった人や災害で家族を失った人より幸せなんだと気がつけという事なのかな

それはわかる

でもそれはわかった上で(いやわかったつもりなのか)

やっぱりこの前まで私にも娘がいて一緒に買い物来てたし、当たり前に感受してた事は当たり前ではないのだとわかってはいてもそれが愛おしくて仕方ない

あと二人お子さんがいるじゃないとも言われるけど10人いるから1人居なくなっても良いでしょとかそんな事はないに決まってる

勿論一人っ子を亡くしたら今の私を支えてくれている全てがない訳でそれはどのくらいの喪失感なのか計り知れないと思う

そうやって自分より大変な状況を考えてそれよりは恵まれていると考えるのは癒しになるのだろうか

確かにその人達を思えば自分だけが世界中の不幸を背負ったような感覚は覚えなくて済むのだろうか。f:id:y642285:20201222000127j:image

 

去年の今頃

娘が亡くなってから日課のように去年の今日のLINEを見てしまう

大概が荷物を取りに来てとかお風呂出たとかトイレシーツがないという類

でも時々学校にも行っていて去年の今頃は進級できるように単位を取っていたので「もお無理」とかプリント終わったとかそんな言葉が並んでいる

ちょっと頑張ったご褒美に帰りに寄り道をして文房具を買って来るのを楽しみにしてた

普段はデジタル絵だけどコピックで描いたりするのも楽しんでいた

色を揃えたいとかコピックが一本250円くらいなので2本買おうか3本買おうか迷ったりしてて

そんなLINEを見るのは同時でも楽しみだった

ずっと外に出たがらなかった娘が外でお買い物をしてるなんて!お金が許すなら100本でも買ってやりたいと思ったり、イヤまたこの次の楽しみと言うのも大事なんて思いながらLINEを返信してた

 

この頃部屋の机だと足が寒いと言っていたのでベットの上にコタツを設置していた

かなり快適だったみたいで本格的に作業場になってると写メ送ってきた

ワンコも側にいてコタツで暖まっていた様子

このコタツ降ろしたのは随分暖かくなってからだった

その時は一緒に下ろしたんだよね(上げる時も)

そんな様子がLINEから伝わってきて娘とのやり取りを読んでいるとまだ家に居るような気がしてしまう

 

そんな後は必ず泣いてしまうし居たらいいのにと呟くか叫んでしまうけど読み返すのはやらずにはいられない

本当に居たらいいのに

なんで居ないのかさっぱり飲み込めないまま多分年を重ねていくんだろう

 

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なんで居ないんだろう

身内の誰かが亡くなるというのを父が亡くなってから30年過ごしてこの年になったけど

子供の何かが消えていくのは存在がなくなったという現実を突きつけられる

健康保険証を返したり

年末調整の扶養家族欄から名前が消えている

生命保険の払い込みも6月26日以降要らなくなって記帳欄は空白のままだ

まだ暫くは学習塾のDM辺りは届くのかもしれない

何だか今となってはそれすら覚えていてくれてありがとうという気持ちになったり、もう居ないのにという気持ちになったりして複雑な気持ちになる

仏壇がリビングに鎮座してあの子がいた時には飾る事もなかった生花達がキラキラと咲いている

花は祭壇のように飾られた娘の写真を取り巻きあの子は居ないんだよと言っているようだ

それでも帰宅すると真っ先に目に入る娘の遺影がお帰りと言っているようだったり、私は確かに存在したのと笑っているようだったりして毎回私は泣きそうになるのを堪える為に目を背けてしまう

よく想像するのが娘が生前していた「お帰り〜」という声とか「ママ〜」と何か言いたい事がある時に言う話し方

今でも目の前にいるように思い出すので一瞬幸せな気持ちになるがその後溢れそうになる涙を堪えるのが辛い

あの子ないない秋が終わってもうじき冬がくる

それすらなんだか信じられない

私が死んでも朝になれば太陽は昇る

それと同じように季節は残酷に過ぎていく

今はまだ生々しく残っている娘の持ち物も色褪せて主人のいなくなった部屋のアイテム達も劣化していくのだろう

生きていたらいくらでも断捨離出来そうな物ですら愛おしい

娘の最大の遺品達のワンコ

一番の思い出を共有した彼らの寿命が尽きたら私はどうしたらいいんだろう

とは言え今彼らと過ごすのも辛い

必ず一緒にいた娘がいないから

一人で出来ない事も二人でなら出来たお世話の数々

時々次男が手伝ってくれるけどやっぱり手伝いの域を出ない

そんな時はなんで居ないんだろうとワンコ達に呟いてしまう

なんで居ないんだろう…なんで?

 

この言葉を私は毎日呪文のように呟いている

 

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マイライフ・アズ・ア・ドッグ

私の好きなラッセ・ハウストレム監督の映画

初見は多分20年前位だと思う

主人公の少年イングマルのモノローグからはじまる。 「よく考えてみればぼくは運がよかった。たとえば(中略)宇宙を飛んだあのライカ犬スプートニクに積まれて宇宙へ。心臓と脳には反応を調べるためのワイヤー。さぞいやだったろう。食べ物がなくなるまで地球を五ヶ月回って餓死した。ぼくはそれよりマシだ」

ライカ犬と比べて自分を慰める少年に当時長男、次男を産んだ頃の私は激しく同情した

あと子供は規則正しい生活をベースに自身のアイデンティティを確立していくのかなぁと

 

多分娘が産まれてからも見たと思う

話自体は淡々とした純文学的な作りなので心の奥でほんのりと光を感じるような作品

何かの例えで娘にも話したかもしれない

でも一緒に見ようと言わなかったのは(言っても洋画好きでないから断られたかもしれない)作中で主人公の飼い犬が本人の知らない所で(多分保健所のような所で)処分されてしまうから

もちろん主人公イングマルも激怒し号泣する

いつか迎えに行くつもりで頑張っていた彼の支えだった愛犬

娘が見たら最初取り上げられた時に「ママかなワンコ戻って来るんでしょうね?」と聞くかもしれない

そうでないなら主人公イングマルがどんなに頑張ろうとこの話は見ないだろうなと思う

あと史実であるライカ犬の事も心に病むだろう

 

最近この話を良く思い出す

冒頭で彼が呟く「ライカ犬よりマシ」のフレーズが頭に響く

ライカ犬と比べなければならないほど辛い生活を送る主人公を思ってというより

そう思わないとやっていけないくらいの追い込まれ感を感じるから

誰もいない宇宙で死ぬと分かっていて載せられるライカ犬

そう私だってライカ犬よりマシ

そう思わないと生活出来ない現状で

毎日亡くなった娘を思い、死ぬほど辛かったという日々を考えると、わかっていて何もしなかったライカ犬を乗せた人より酷いと思ったり

不幸な犬と比べなければ日々を乗り越えられなかったイングマルよりマシだと思ったり

とにかく何かとこのフレーズが胸を過ぎる

 

人は何かと比べないと自分の幸せに気付けない物なんだとわかっていたようでわかっていなかった

わかりたくなかった

知らなくて歳を取れたらその方が多分幸せ

子供を亡くす事何もしてやらなかったという思い

もう会えないという現実をまだ受け止めてはいない私がいる

だからライカ犬よりマシと自分を慰めるしかないんだろう

夢で会った娘は生前と同じでハグしても暖かく感触すらあった

そんな生活が当たり前だった時の幸せを今頃気がつくのだから

ライカ犬より本当にマシなのか

宇宙をさまようような寂しさが胸に広がるばかりだ

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