娘の友達

一昨年の10月頃人づてに娘の事を聞いたと娘の友達がお線香をあげに来てくれた

小学校一年生から6年生までずっとクラスが一緒で

苗字もあいうえお順で近くていつも新学期は隣の席だった

しっかりしてるけど癒し系の彼女は娘のおしゃべりにいつもニコニコと相槌をうってくれて時々娘を嗜めてくれる友だった

中学にはいり娘が不登校になった時もよく遊びにいかせてもらった彼女のお母さんも心配してくれて

私も相談に乗ってもらったりもした

 

娘は言わなかったけどお友達はちゃんと中学生活に馴染み、部活にいそしみとやっていたので連絡しにくかったのかと思う

そんなわけで最後にあったのは彼女のお母さんが40代で急死された時の弔問の席だった

不登校から外に出れなくなっていた娘がその時は二つ返事で一緒にお線香をあげそのお友達と普通に会話していた

それが5年前の出来事でその2年後娘はいなくなってしまいもう彼女と話す事は出来なくなってしまった。

今年伺いたいとLINEを貰った時嬉しい反面悲しみに直面するのが怖くて即答したのにうじうじと考えていたが当日会ってやっぱり来てもらえて良かったと思った

もう娘がいた事を話せるのは彼女だけだから

午前中に来てくれた彼女を私はランチに誘った

娘と最後に行ったファミレスのしゃぶしゃぶだ

娘がワカメご飯が好きだとここに来るまで知らなかったと話せば小学校の給食のワカメご飯が美味しくて私も好きですと返ってきた

娘ともそんな話をしたという

二人だけどまるで娘がいるかのようなランチ

泣きながら、また笑いながら二人で食べた

ゲーム上手かったよねとか一緒のチームだと私が足を引っ張ってしまってとか

アニメの話とか色々話してくれた

20歳に今年なる彼女は少しだけ大人になっていて振り返って思い出す余裕もでたのかなとも思った

彼女のお母さんは余りにも急だったので当時どうやって過ごしたのか記憶にないけど娘が来てくれたのは嬉しかったと言ってくれた

彼女も言った

立ち直ったり忘れたり出来てる訳じゃないと

彼女も遺族として踏ん張っていて子を失った母は

子を置いて往かなければならなかった彼女の無念を思った

また来年会えるだろうか

もし来年来れなくても娘の事を何処かで思っていてくれたら

それだけで…感謝という言葉では言い尽くせない

何となく娘がどこかで笑っているような気がした土曜日だった

本当にありがとう

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明日は7月1日

母の葬儀から早、4ヶ月

気がつけば一年の半分が終わり暑い夏がまたやってきた

普段はあまり考えないようにして日びをこなしているけど

やっぱり6月30日は私にとって忘れられない日だしその翌日の事なんて思い出すのも辛い

どうしても時系列をなぞって追ってしまうしお別れの時間が近づくと胸が苦しい

5月に娘の愛犬のサムが亡くなりあの子と一緒に行った葬儀屋さんに火葬をお願いした

こんなにバタバタ思い出を繋ぐ者達が居なくなるなんてもっと私が変化に慣れなくても済むようにあと何年かあったらいいのに

昨日次男が言ってた

もう明日が同じ日が絶対来るとは信じられないと

当たり前だけど何となく同じ日を過ごして信じながら生きて行けたら平和で幸せ、でも突然それは違う叩きつけられる悲しさを知ってしまったと

優しい娘なのに

私達に消えない悲しみを打ち込んでいってしまったよ

でもさよならしたくないのにしなければいけないほど辛かったんだと

その悲しさを分けてくれたら良かったけど

過ぎた時間は戻せないから

三年前のこの時間はウサギとソファでうたた寝してた事

もう少ししたらお風呂に入ってゲームを何個かやり始める事

将来の話を少ししたような気がする事

サムはバカーって変な歌を歌ってて私がうるさいって言ったこと

Twitterでバズった面白い話を見つける度に見てーって見せに来た事

日付が変わってから部屋に行くまでの何時間

当たり前の日だった

もうこれ以上なぞれないから

私は逃避に向かうよ

娘がいなくなってからのめり込んだアイドルと人形制作

新人ワンコ達との添い寝

目を逸らしながらママは残った次男を心配させないように生きていく

心に傷をおったもう一人の子供に

独立した長男に

心配かけないよう生きていく

忘れた訳じゃない

忘れられない

時間が戻せるならなんでもする

そんな気持ちは封印して生きていく

娘よ、これが三年たった私の今だよf:id:y642285:20230630222713j:image
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母が亡くなった

夏まで元気だったのに秋に片目が見えないといい11月には認知症状が出た

悪性リンパ腫の再発との事

放射線治療抗がん剤治療も完治には至らないそうで私は薬で静かに進行する母を介護する生活を選んだ

でも本当に進行が早くて年末には喜怒哀楽を失い新年には食べれてた物が次の週では咀嚼が難しくなった

娘と母は私が仕事をしてる間二人で過ごす事も多く通販のお世話や携帯の名前を入れたりしたのは娘らしい

娘が撮った写真には母の部屋から見える小さい裏庭の植物もあり娘が食べるからとプチトマトのプランターもあったようだった

母の代わりに裏庭で洗濯を干していると娘と母、二人で過ごした日があったことを目で追ってしまう

娘は母の裏庭ん眺めながら美味しい緑茶を飲むのが好きだと言っていた

おばあちゃんみたいねと私は笑った

そんな穏やかな日がずっと続けばよかったのに

二人で何をして笑ってたのか何を言われてちょっと娘が拗ねたのかもう永遠にわからなくなってしまった

運命共同体みたいな母だったからずっと寄りかかっていたのは私だと思う

娘との思い出を共有出来た母がいないだけで随分と娘が遠くなってしまった気がする

娘がいなくなった次の日洗濯を干しながら娘の下着がないと泣いたと言っていた

娘に会えただろうか

そんなにおいかけるように行かなくてもいいのに

ママはやっと少したてるようになったのに

また心寂しくなってしまうよ

 

毎年作っていた干支の色紙は10月に完成していた

私の干支の

兎年の色紙が最後になった

 

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もう4ヶ月開いてしまった…ごめんね

忘備録として書くはずのブログ

こんなに開いてしまったけど楽になったとか乗り越えたとか全くない

日々を何とかやり過ごしてるだけ

勿論楽しいこともそうでない事も沢山あってそれでも生きていくしかないだけ

ただもうどうでもいいやと思っていた身体もいよいよガタが来ると人間人生が惜しくなるらしく慌てて医者にいく

あの子はそんな事なかったのか

病気だからなのか

答えは永遠に謎だ

それでも玉ねぎを選ぶ時熱心に大きいのをえらんでくれた事とかホームセンターでフカフカのクッションを見るたびに頬擦りしてた姿は日々の中で見え隠れしてこんなささやかな思い出が涙を運ぶ

会いたいな

向こうで幸せにしてるだろうか

それだけがママの願いだよf:id:y642285:20221110053210j:image

27日から28日の夜

昨日は2年前最後に娘の部屋でワンコ達と寝た日だった 4時半頃トイレに行きたくて目が覚めたらまだ起きて絵を描いてたみたいだった 怖い話をYouTubeで流してて よくこんな怖い話聞いてるなぁと思いつつその話のオチがなくて気になったのを話したら笑ってた ママがいるから怖い話も安心して聞けるって…

そのYouTubeは長男が寝る時よく流してて暗い部屋から人の声がボソボソ語っててなんだこれ!って思ってた

娘も変なの?って言ってたのに聞いてるからなんで?って質問したら意外と面白いって

長男は娘の事があってからそのYouTubeは聞かなくなった

何を思いながら朝方絵を描きながら聞いてたのか

その日の日付けのメモには「死ぬしかないか」とか書いてあった

次の日から土砂降りの寒い6月の末だった

残りの日付けは2日

知ってたら7月1日を迎えなくてすんだのだろうか

あともう少しいてくれたのか

まだそばにいてこの世界はなかったのか

側にいてくれたら良かった

 

他の何がなくてもいいのに

あの日に戻りたいとこの先何年も思う6月がもうすぐ終わる

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随分と開いてしまったけど3回忌を迎えた

最後に書いたのが1月だなんて気がつけばもう半年が過ぎて6月も半ばだ

どうしても泣いてしまうから

ここで思い出に浸ってしまうと

忘れない為に始めたブログなのに書いていると辛さが増すというか目を晒している事に向き合ってしまうからか

6月19日に父の33回忌と娘の3回忌を一緒に行った

6月19日は父の立ち日でもある

平成2年と令和2年奇しくも似たような時に娘は旅立ちを決めていたようだ

生まれる前の事だから知るはずもない事だけど

6月20日は娘と父のお墓参りに来てその後乗馬に行った

今思えば最後の乗馬だ

令和2年は私が父が亡くなった年になった歳でもありそんな報告も兼ねて来たのだったけど

娘の事を護ってとお願いしたけどそれは守られた願いだったのかどうか

父の範疇を超えた願いをしてしまったのか

とにかくその10日後に娘は私の前から消えてしまった

もうママと呼んでもらえない

電話もかかってこない

笑った顔がまた見たい

そんなささやかな生活が変わってしまった日だ

この半年の間に子犬はまた産まれ最後に一匹残した

娘が欲しがっていた小雪の子供だ

4匹全部の血を継いでいる仔犬

この子は私と寝起きを共にして帰ってくると迎えてくれる

娘が見たら特別扱いといってせめるだろうか

他のワンコ達は娘との思い出が多過ぎて一緒にずっといると辛くてと言い訳をしておこう

楽しかったあの夏に娘とワンコ達と狭いベットで寝たあの日を

令和2年の夏もそうなると思って疑わなかった

絶対もいつも通りも奇跡の連続だと知ってしまったあの夏は多分一生忘れない雨の中だf:id:y642285:20220620233242j:image

今年も明けた

新年が明けてもくれても私の時間は何処で止まっているので祝いの言葉はつけないけど

世間ではおめでたいし、かつてそんな風に祝っていた事もあったのかと俯瞰して見ている

去年それなりに楽しいこともあったし今日も生きている

 

 

一応これは1月1日の下書きなんだけど、もう気がつけば25日で1か月経つのが早いなと思う

娘がいない生活には慣れないし居ないと思うと何も出来ないから今日も気をそらしながら1日を過ごすよ

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娘の周りだけはお正月華やかにした

そのくらいしか出来ないから