今日は凄く泣いた

やっぱりスーパーに行くと泣いてしまう

よく一緒に行ってたから

娘さんと買い物に来てるお母さん見ると私だってこの前まではこうだったんだなと思う

凄く羨ましい

子供産んだらみんな育って成人するのが当たり前だと思ってた

実際は事故や病気で亡くなる子供だっている

それは知ってた

そう

知ってただけ

子供の死亡率が高かった時代はどうやって乗り越えて来たんだろうか

親の気持ちは昔も今も変わらないと思うけど覚悟とか何かが違うのだろうか

長男がこれからは彼女を連れて来るといった

私も知ってる美少女だ

反対する理由もない

でも凄く寂しかった

そんな事グダグダ言っていたら長男に怒られた

俺はまだ22なんだよ

前に進むしかないだろと

その通りだ

こうやって親から巣立っていくのを喜ばなくてはならないのに娘がいない今息子に依存している私がいる

子離れしてるつもりだったけど全然ダメだ

息子にそんなに後悔してるならなんであんな遅くまで仕事してたんだよと言われて図星だっただけにぷいと部屋を出た

長男と娘は似ているので娘に言われているかのようだった

本当にそれは後悔してる

もっともっと一緒にいてやれば良かった

色んな気持ちがごちゃごちゃして涙が止まらない

遂に夫まで来た

みんな同じ寂しさを抱えているのにそんな気持ちは伝染してしまうと

わかってるという言葉を10回は言ったと思う

頭ではわかってる

でも心はこの現実を認めたくないんだと思う

毎朝やっぱり夢だったって思いながら起きる

でも現実なんだって悲しくなる

あの子を守ってあげるどころか理解してもやってなかった

その後悔は尽きない

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遠くから幸せを願う

じゃあまたねって明日また会えそうな雰囲気で別れ

その後全く会う事なく何十年とか意外とある
それでも悲しくないのは会おうと思えば会えるから
悲しくなるのは会いたくても会えないから
どんなに距離が離れていてもその人が存在していてくれさえすれば会えない可能性はゼロじゃない
それだけの事だね

 

よくドラマで何処かで幸せに暮らしてくれてると思えば会えなくても悲しくないって言うのを
ぼんやり見てた
会えないのは辛いし寂しいのにそう思えるんだ…と
その人の幸せの方が自分の寂しさよりも大切に思えるのは凄い

その人が幸せなら耐えられるんだね
そんな人になりたいと願う

 

今日は長男の仕事の話、次男の美容院での新しい髪型で食卓は明るかった

夫の帰りも早くなり息子との会話も増えた

ここに娘がいたらシニカルな笑みをしながらこの話を聞いているんだろうか

ママ〜長男の話自慢話みたいでムカつくとか言うのかな

何処か遠くに居ると思えば寂しいけど笑える

永遠に会えないとか抱きしめられないと思うと泣けてくる

今日も息子達とハグをした

居たらいっぱい抱きしめてあげられるのにと

息子の心臓の音を聞きながら思った

 

さわれないだけ

それだけなんだよ

それだけがこんなにも寂しい

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もうじき49日

お盆の関係で1週間くらい早まってる49日

35日から49日の間にやるんだそう

娘がいない日が40日になった

息子二人の慰めと同じ傷をもってしまった夫、私と同じくらい娘と時を過ごした私の母でなんとか日々が過ぎていく

まだ受け入れていないからなのか時々娘がいるような気がしていつもの日常が送れたりもする

そうかと思うと娘の描いた絵や使っていた消しゴム、好きだったオレンジジュースを見て号泣したりもする

遺骨を身につけていようと思ってリングを買った

選ぶのは楽しい作業ではなかった

それでも届いて遺骨をほんの少しリングに収めた

これでどこでも一緒

でも全然悲しみは減らない

経験上、お葬式関連の行事が一通り済んだ後もの凄い悲しみが襲ってくるのを知っている

父の死から30年が経っても悲しみは来る

この先後どれくらい泣くんだろうか

胸に刺さった悲しみは抜ける事はないまま歳を重ねるしかないんだろう

前は認めたくなかったからか自死や鬱という項目を検索してこなかったけど

亡くなってから少し読んだ

娘は携帯から相談ダイヤルに何回か掛けてる

13秒程で切れてるので混み合って繋がらなかったのかもしれない

死にたいというのは希死願望というらしく自死の2個程手前らしい

その次に移行すると生きたいと思っている反面死への渇望が止まらないらしい

まさにそうだったんだと思う

何日か前に自死しかけたと告白してくれた

あの時そんな事しないでねと話したけどそれは話してもわかってもらえないという気持ちにしかならないようだ

もっと調べてちゃんと話してあげられたら

カウンセリングで話してくれてる物だと思ってたから安心してしまったと思う

彼女が逝ってしまってからどれだけの寂しさと辛さを抱えていたかを知った

生前知っていたとしたら何が出来たんだろうか

そんなに自分を攻撃して追い込まなくてもいいのにと言ってもそれはダメだっただろうけど

あらゆる事は試しただろうか

6月に入ってからカウントダウンが始まっていたような娘の文章を読んだ

今8月のお盆休みでみんないるけどそんな状態だったらもう少し伸びたのだろうか

後1か月チャンスがあったら何とかなったのか

ならないと絶望したから逝ってしまったのか

最後の日の明るさはもうじき終わりにするつもりの明るさだったのか

幾つものたらればと疑問が残る

今日も遺影の娘は笑っている

少しは楽になれたんだったらママはどれだけ泣いてもいい

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去年の夏大学のオープンキャンパスに行ったんだった

写真嫌がっても一緒に撮れば良かった

 

 

 

 

 

今日で1か月

7月1日は悪夢のような1日だった

今でも夢ならいいと思う

30日に二人で早めの夕食でしゃぶしゃぶを食べた

沢山話した幸せな時間、日付がかわって夜中の2時半まで一緒にいて夜食を食べた

遅い就寝だったけど娘はその前に2時間程うたた寝をしていてまだ寝れそうになかった

それは良くあるいつもの事でいつもの時間だった

携帯の履歴を見ると3時13分にカラオケを吹き込んでいた

犬のトイレシーツも変えてあった

その後おそらく2時間の間にどんな心境になったのかわからない

大雨で朝日はいつもの時間になっても昇らない日だった

気圧が下がると影響を受けやすいとこうなってから何かで読んだ

一人にしなければよかった

一緒に部屋にいって娘の部屋で寝れば良かった

朝まで一緒に話していれば良かった

そんな日だってあったのに

平日で翌日は予定が色々あって寝なければと思った

今戻せるなら朝まで抱きしめて離さない

 

この後悔は一生持ち続けるだろう

年月が経って胸の痛みが和らぐ日が来たとしてもこの日の後悔ややってあげれなかった事の後悔は胸に刺さって抜けないだろう

可愛い私の娘

永遠に会えない

死にたくはないと生前言っていた

でも死にたいくらい辛いとは言わずに逝った

今はそんな気持ちから解き放たれていると信じたいけれどそれは私の死にたいくらいの悲しみの引き換えでもある

私の顔は浮かばなかったのだろうか

それが病が為せる怖さなのか

病の深さを亡くなってから知るなんて

お母さん失格なのかもしれない

 

そんな土曜日の今日は何にもする気になれなかった

#斉木楠雄のψ難

#夏目友人帳
声優さんが同じ
この人の声好きって娘がいってた
勿論お話も好きだった

今日うっかりチャンネル合わせそうになって
心臓がバクバクしてしまった

それでいくと #銀魂 も見れない

 

娘が好きだった物全てが辛い

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長男の誕生日

今日は長男の22歳の誕生日
何年か振りにみんなでお祝いしたよ
みんなで子供が小さい頃の話したりして笑った

娘の幼稚園時代の話もしたな

そう言えば元々頑固な一面もあった娘だった

長男がやっぱり俺のせいで学校嫌いになったんだなと言い始めたので夫と二人で全否定

ここに娘がいたらそうだよって答えてたかな

それともムッとした顔で聞かないフリして聞いてたかな

お互いを責めるのはやめようと改めて息子達にも話した

責めあっても娘は戻って来ないしそうなってしまったのは一つの理由ではないと思う

小さい頃は自信たっぷりだった娘の自己肯定感がどの辺りから崩れたのか

私も含め少しずつ選択肢がズレたり違ったのかもしれない

病んでしまう程自分を責めたり将来の不安を嘆いていた娘

いつからか私の前では泣かなかった

抱っこしてと寄ってくる事はあっても泣いてなかった

一人の時泣いていたのだろうか

明るい子でもあったから元気の良い時は面白い事話してくれてた

今は楽になれただろうか

残された私達にはわからないけど娘のいない空間をみんな必死で耐えている

こんなに必要とされていたよ

私なんかいらないって書いてあったけどそんな事ないんだよ

もう少し大人になったら兄達の素直じゃない愛情もわかったんじゃないかな


ここ何年かは息子達は友達とバースデイを祝っていたのでまたみんなで祝えるなんて思ってなかった

私と娘の二人でケーキ食べたりしてたね

娘が居た時こんな時間を持てたら良かった

でもこんな風になってなかったら私達夫婦も寄り添うこともなかったと思うと皮肉だね

兄達は私達親にかなり気を使っているのがわかる

 

いつかは兄達も独立して家族を持つだろう

その時私はまだ娘は側に居てくれると勝手に思っていた

だから息子に彼女が出来ても子離れ出来た親のふりも出来た

今はもう少し私が元気になれる日まで息子達に側に居て欲しい

娘ないない生活に慣れたくないし戻っては来ないあの日々を悔やんで泣いている私に息子達は寄り添ってくれている


あと何年誕生日祝いができるかわからないけど出来る限り回数を重ねて行けたらいいと思う

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楽になるけどなりたくない

他の人には生き抜く事を考えて欲しいと言いつつ
今の私は生きているのがシンドくて
死にたいわけじゃないけど生きていくのが辛いという気持ちが理解できてしまった

胸が苦しくても周りに言ったら言われる言葉がわかって本音が言えないのもやっとわかった

ごめんね

いつもビックリしてそんな事やめて!としか言えなくて

なんて言ってあげていたらあの子の救いになったのだろうか


私は1か月でこんなに辛い

娘は年単位

監獄に囚われてる感じだったのだろうか

今日は娘の追体験をしているようだった

 

ついLINEの過去歴を読んでしまう

当たり前の日常の会話

牛乳買ってきてとかお米研いでとかいつ帰ってくる?とか

ほんとに居ないのがまだ信じたくない

 

悲しい事に蓋をして考えないようにすればかなり日常に戻れるし泣かないですむ

じゃあ蓋した方がいいのかどうなのか
でも開けっぱなしで泣いてても元には戻らないと思うと蓋した方が建設的

理屈で考えたらそうだよね

でも何一つ忘れたくないしあの子の軌跡を辿ろうとばかりしている

最後にあと1週間時間をくれたら違っただろうか

同じだっただろうか

私はその1週間の間にこっそりタブレットを覗いて娘の苦しさを理解出来ただろうか

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携帯の歌声

携帯アプリにカラオケのアプリがあった

前に開いた時はどんなものか分からず閉じてしまったけど今回は慎重に見てみた

 

未発表?ってなに

アップロードするとネット上に上がるらしい

6曲入ってた

最後の1曲は亡くなる日の3時13分

 

その後2時間にどんな心境になってしまったのかわからないけどずっと足踏みしていた一歩を踏んでしまった

でも3時と言えば私も寝付いたばかりの時間で

その頃はまだ歌を歌っていたんだなと思うと本当に悔やんでも悔やみきれない

 

恐る恐る歌を再生した

いつもの娘の歌声が流れた

 

細くて高くて綺麗な声

 

夫にも教えた

彼は娘の歌を聞いたことが多分ないから

じっと聞き入る夫の顔は泣くのを堪えているように見えた

 

そのうち夫は最後の日娘だけで犬のお世話に行かせた事を言い出した

ついて行ってあげてたらよかったのにと

それは私もあの日からずっと自分に対して思い続けているし後悔しない日はない

1週間前から顔が暗かったともいった

私は心の中でじゃそう思ったなら声かけたら良かったし犬のお世話だって自分がついて行ったって良かった

だいたい娘とここ何年か向き合って話をしてた?と色々ぐるぐる駆け回ったけど

 

お互いを責めるのはやめようと言った

 

その後悔は私は死ぬまで待ち続けるし息子達だって後悔はあるだろう

家族中でお互いを責めたりしても何の解決にもならない

自分の後悔は自分だけで背負って行けばいい

 

私達は寄り添って行かなければ崩壊してしまうのだから

残された者は精一杯身を寄せて家族という絆の中で傷と喪失感を癒していくしかない

 

その晩夫が言った

寝室にいるような気がするから側で寝てやって欲しいと

部屋に行ったら何故か背中がピリピリした

私は隣に娘が寝ていた頃を思い出しながら寝た

 

少し暖かい気持ちで眠れた

 

朝起きたらいつもの悲しい朝だった

亡くなってからが夢なら良かったと思い続けている

いつもの朝だ

 

おばあちゃんに声がを聞かせてあげたいけど辛いかな…

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