6月30日そして1日と…

去年の今日はあの子と過ごした最後の日

とても楽しい一日だった

昼ごろ学校に提出物をどうしても出さなければならずその事も娘のストレスにはなっていて

でも行かない事もあの子のストレスになるのもわかっていた

その日は大雨で学校の外に出ていた娘の傘を人混みの中からみつけ名前を呼ぶと娘が振り返り車に乗り込んだ

学校に迎えに行ったのは4時頃

行く前とは大違いな明るい娘がいて

ママがオタだって先生に話しちゃったと笑いながら言った

車の中で私はオパールが誕生石だとか乙女座の方が性格が近いとか色々ハイテンションで話していた

これらの話は過去にも書いたけど

肉を食べようとファミレスでしゃぶしゃぶを食べることにした

美味しいと頬張る娘の姿が可愛くて写真撮ろうと思ったくらいで(撮っておけば良かった)

チョコレートクランチ好きだからこれだけで食べてみたかったけどいざやってみると美味しくないねと言いながらセルフで作ったチョコクランチのチョコレートがけを作って食べていた

死ぬまでにやってみたかったんだとも言っていた

随分大袈裟な言い回しだと思ったけど希死念慮が常にチラつきながらの生活で聴き慣れてしまっていた

今でも思う

あの時の明るさは今日で終わりにしようとしてるからだったのかと

その後普通に家で過ごしお風呂も入り二人で色々話しながら夜食も食べた

丁度今これを書いてる時間は娘がお風呂から出て来て「出たで」とLINEして来た頃だ

その後すぐに次男がお風呂に入ったと思う

お風呂で髪を洗うたびどんな気持ちで最後のシャンプーをしていたのか

学校から帰ってまるで明日も使うかのように玄関のポールに引っ掛けたリュックは?

お気に入りの赤いスニーカーはもう脱いで履くことはないと思って脱いだのか?

私は毎日考える

でもやはり何度考えても多分その時は明日は来ないとは思わずに行動してるのではないか

希死念慮はチラつきながらもあの子の中で浮かんだり沈んだりを繰り返していたのではないか

そして自分の部屋で眠れない夜を過ごしている時何かが背中を押してしまったのではないだろうか

心の病気は脳の誤作動だという

一人にしなければよかった

あの日からずっとそれを考える

去年の私はこの時間まさかそんな明日が来るなんて想像もしておらず

亡くなってから色んな物を読むまで思春期の悩みくらいに思っていた

もうじき日にちが変わる

私達は夜中の2時半まで一緒だった

あの子は3時にカラオケを録音している

私が眠りについて暫くした頃決行したのだけど

何処かで引き返す気持ちもあったのではないだろうか

だってワンコはずっとゲージから出ていたから

本当にそんなつもりならしまうのではないか

何度書いたかわからないけど永遠に謎になってしまった

今日一人で娘の亡くなった時間を過ごすのは辛いけど起きているなら何故あの時もそうしなかったのかと思うし自分がその時間をどう見送ればいいのかこの一年ずっと想像して来たけど

ピカっと光って1年前にならないだろうというのはわかる

でも出来るならそんな時間に戻れたらいい

あぁこれもこの一年ずっと思ってた

戻れない時間を取り返したいとずっと願ってた

これからもずっと多分願い続けるんだろう

明日は本当の一周忌

思い出したくないあの日がやって来るf:id:y642285:20210630235334j:image

 

 

 

 

 

6月20日 楽しかった思い出の乗馬クラブ

6月20日
私の父は57歳で父の日から2日後の6月18日に亡くなった
去年私は父と同じ歳になり父が亡くなるにはまだ若くてやりたい事もあっただろうと思った
20日が土曜日だからお墓に行こうと思っていて
娘が乗馬をしたいと言っていたので予約した日もその日だった

お墓は近いので先にお参りしてそのまま乗馬クラブにいった
予約時間は3時
コース一周で20分程
その前に説明を聞き帽子や装備を借りて娘は乗馬を楽しんだ
いつもは撮ると怒るけど馬に乗っているから動画を回した
また来てねと言われ
はいと答えていた娘
半年乗馬コースのチラシを貰って帰った

その何日か前に自死しかけたと聞いていたけど
その日の娘は明るくて楽しそうで乗馬半年コースを習いたいと言っていた
これで大丈夫
また暫くは元気な娘でいてくれる筈と私は信じていた
お墓の父にもお願いしたし
娘も手を合わせていたし
メンタルクリニックの予約も3日後にあり心配は去ったと思った

それがとんでもなく浅はかで何も分かってないと知るのはたった10日後
あの日の楽しそうな娘は何だったのか
また来てねと言われ返事をした子は何処に行ったのか
この間一人で遺影を胸に隠し抱えて乗馬クラブを訪ねた
去年娘が乗った馬は別のクラブに移動になり会えなかったが撫でていた馬の写真を撮った

父にお願いしたのに
どうして?と今もお墓に行くたびに思う
あの日娘は何を思って手を合わせていたのか
その時は自分がここに入るなんて想像はしてなかったと思いたい
父の歳を超えたけど
父の歳に私の心は死んでしまった
会ったこともない写真だけのおじいちゃんは迎えに来てくれただろうか
とても楽しかった6月20日

今日から更にカウントダウンが強まる10日前

今思うとその10日の間に娘の気持ちに色々な変化はあったと思う

ここからはその10日間を思い出していく

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カウントダウン

思えば去年の今頃からカウントダウンが始まっていてそれは私が気がつかないだけで静かに進んでいたらしい

それでも私は今日と同じ日が毎日やってくる物だと疑う事さえせず、漫然と時間を消費していた

今でも思う何故の答えは永遠に来ないし、わかったとしても止める術はないという事だけはこの一年近い日にちで学んだ

それでも娘も多分生きたかっただろうし、自分の攻撃にも何とか対応しようとしていたから

私に出来る事はもう少しあったのではとやはり思ってしまう

自責の念が他の遺族の方よりも多いのは仕方ないと思いつつ、これからの人生がやけに長くて退屈に思えてしまうけど

ゴールを人生の終着だと考えるともう半分以上すぎているからあっと言う間に完了してしまうのかもしれない

その日までどうやって過ごして行くのか

わからないけど

あの子と最後に行った量販店、丁度今日だし

亡くなった後空になったドックフードを捨てるだけでも辛かった

あの日帰りに埠頭に寄ってワンコの散歩をしてここは虫が来なくて良いねと笑って走っていた姿は昨日の事のようなのに

もう一年

まだ一年

カメラのフォルダから娘の最後の姿がどんどん奥になる

写真撮っておけば良かった

そうじゃなくて

そんな事じゃなくて

もっと娘と一緒にいたかった

居たらよかった

今思えば後半月後に永遠に会えなくなるなんて思いもしなかったのだから

たった半月

かけがえのない時間だったのにと後悔は尽きない

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もうじき一年

あの日が近づいて来るにつれて胸がザワザワしてくる

と、同時に去年の今日の出来事がまるで画像でも見ているように思い出される

当日の事はあんまり思い出したくないけどきっと最初から最後まで鮮明に思い出して行くのだろう

この1年ずっと繰り返してきたように

他の遺族の方とお話ししたりやり取りしたりして気持ちの吐け口が出来て気持ちは随分楽になっては来た

みんな傷を負っていてみんな愛する者にもう1度会えたら死んでもいいと本気で思ってる人達

遺族で無く会えたらとても楽しい人達なのに私達の接点は遺族という事

子供が繋いだ縁とはいえみんなこんな事もなく幸せに暮らしていたかっただろう

もう一つ遺族になって変わった事は私達夫婦の関係だ

以前視てもらったのだが私達は前世で仲違いをした為今世は仲良くするのがミッションだという(もう少し色々あるけど省略)

娘は私達を仲良くする為に産まれきてそれが成し遂げられなかったから天命として終わってしまったという

だから私達が仲良くしていれば運命は変わりあの子は生きていたかもしれないと言われた

私はそんな酷い使命を背負わせた何かに激しく憤りを感じたけど思い当たる事が多々あり

私達夫婦は腑に落ちてしまったのだった

それも不思議な事かもしれない

でも多分そうなんだろうと納得出来てしまうのだから仕方がない

当然私達はお互い自分を責めるけれどそのおかげはのか相手に前より優しく接する事が出来るようになった

あの子が生きている時出来ていればあの子は今でも何とか生きていたのではないかとお互い割と真剣に信じている

残された長男、次男からすれば今の家の空気感で妹が生きていたら最高なのにと思っているらしい

仲が悪くなる理由は色々あったけどやはりコミニュケーションが取れなくなってお互いがギスギスしだした事が大きいと思う

相手の反応に腹を立てイライラした状態を喧嘩しないように抑えているだけの関係だった

今は娘を無くしたこれほど近い同志はいない訳で寄り添ってやっていくしかなく

どちらかが優しくなればこちらの心も溶けていく

やはり娘はそれが天命で命を持ってして私達を結びつけているとしか思えずあの子の犠牲を無駄にしないよう私達は生きていこうと思っている

もっと早くそれに気がつけば良かったという後悔は一生待つだろうが時間が戻せないのであれば新しく作っていくしかないのだろう

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赤ちゃん再び

ちょっとブログを空けている間にワンコの赤ちゃんが再び産まれてました

5月10日母の日でした

もう産ませたくなかったんだけど預かり犬は思いの外ちゃっかりしてて再び熟女のリリィちゃんがママ犬になってしまった

娘犬もいるけど一向にかからない

娘がいたらそんな話もご飯食べながらとかあの子が調べてこうするといいんだってとかしたんだけどね

いや話したいよ

ワンコの事だけじゃなくて色んなことね

産まれると思ってなかったのでゲージ覗きに行くのが遅くて産まれた後だったけど今回5匹のうち一匹が亡くなっていた

しかも一番体格のいい子だから最初に産まれたと思う

もしかしたらだけど娘犬と喧嘩した際巻き添えになったのか?それとも大きくて難産でダメだったのかわからない

娘がいたらなぁとやっぱり思う

そんな話もきっとしただろうし亡くなった子を泣きながら抱っこした事だろう

(虹の橋をすぐに渡ってしまった仔犬は娘が抱っこしてあげてるだろうか)

夢でもいいからママに教えて欲しい

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去年の今頃は自粛で私も家にいる事が多くて娘が嬉しそうだった

こんな私が居るだけでもし気持ちが安定するのなら居てやればよかった

それも今となってはわからないけどワンコの赤ちゃんの話もチラチラ出てたなと思う

去年の今頃は幸せだったんだな

もっと何とかならないかなんて思っていたのが罰当たりに思える

 

長男も先月結婚して家でご飯食べるのは次男だけになり三人の子供に囲まれた夕食は去年までの幸せな思い出になってしまった


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サラダうどんと温泉卵

今日の晩ご飯はパスタ

生トマトと青紫蘇で作るサッパリ系完達パスタ

娘はそこまで好物じゃなかったけど暑い夏はサッパリしてて美味しい

グツグツパスタを茹でながらふと温泉卵🥚を思い出した

娘がちょうど去年の今頃格闘していた温泉卵

確か熱いお湯に暫くつけておくと白身が固まってトロンとした温泉卵が出来るんだったけど私の成功率も低くてちゃんとしたのは作れてない

サラダうどんのお供に付けたいんだった

去年作ったサラダうどんは娘にかなり好評で私が留守の間も何度か作って食べていたらしく

その時に温泉卵を作ったらしい

し何度かトライしたけど緩い半熟卵になってしまってパカっと割るとつるんと出て来る温泉卵にはならなかったと言っていた

そうなの?と言いながら何度かやったけど私も対して綺麗に作れず難しいねと話した

今日温泉卵のレンジで作るやり方見たんだよ

そんな話もしたかったな

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月命日でした

後2ヶ月で一周忌

去年の今頃はそんな事も知らずに連休を自粛生活の中送っていた

まさかカウントダウンが始まっていたなんて

今日は大雨で娘が亡くなった頃に季節が迫って来るようだ

気持ちが落ちやすいのは次男は寝ていて長男は新居、夫は仕事で母と私だけだからかもしれない

バタバタと忙しくしている方がやっぱり人間必要とされてる感じがあるものの、1人にもなりたいという要求もある

1人で何かしているのは好きだけどやっぱり今は誰かいてくれた方がありがたい

久しぶりに声を出して泣いた

次男が起きて来てハグしてくれて人の温もり生きて触れる事の有り難さ

娘は気持ちが落ち込むと私にハグを求めて来た

もっと長くハグしてあげていれば良かった

きっと今の私と似たような気持ちだったとしたら

希死念慮と戦う力に少しはなっていたのかもしれない

ママもあなたを抱きしめたいよ

もう一度ママって呼んで欲しい

去年は私は幸せだったのに娘の中ではグルグルと思念が渦巻きその気持ちを否定しながら綱渡りのような毎日だったと残された物で知った

会社に自粛で時間差出勤の時も娘は嬉しそうだった

毎日家に居れば良かった

仕事辞めていれば違ったのかな

また戻れない後悔が押し寄せて来る

自死遺族の地獄のような苦しみを新しいTwitterの垢で知った

皆後悔は同じ、希望はもう一度会いたい、時間を戻したい

私も戻せるのなら10年くらい巻き戻してやり直したい事ばかり

もっとお世話したり勉強一緒にやってあげれば良かった

私は1人で良かったけどそれを子供にも求めていた

同じ人間じゃないのに

ごめんね

きっと寂しかったよね

ママを赦さなくてもいい

今はあの子の幸せを祈るばかり

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